行けばわかるさ

20代男性、理系。日々考えていながらも人に伝え切れないことをつらつらと書いていきます。

良い子ちゃん

僕は小さい頃に周りから良い子、できた子と言われて育ちました。

その事自体は本当に喜ばしいことで、幼心に他人から褒めてもらい認めてもらえるのは嬉しいこと、この上ありませんでした。

 

しかし、この『良い子』という言葉には呪縛がつきまとうと僕は思います。

僕の経験談ですが子供の頃に良い子と言われ続けていると、良い子であろう、自分は良い子でなければならないという気持ちが芽生えてきます。

良い子であるために勉強を頑張ろう、良い子であるために自分よりも他人のためになることをしよう、良い子であるために言われたことに疑問を抱いてもきちんと聞いておこうなどなど…

自分を『良い子』にする呪縛は確かに存在すると思います。この呪縛のせいで身動きが取りにくくなったことは少なからずあったと思います。

 

さらに『良い子』であろうとすることの恐ろしさはもうひとつ存在します。

それは今まで自分を『良い子』たらしめていたものが失われたときにアイデンティティーを失ってしまったかのように感じてしまう可能性があることです。

『良い子』であろうとしていた僕は、自慢に思えるかもしれませんが、中学卒業まで学業成績において常にトップレベルでした。公立の中学でしたので様々な生徒がおり、その中では幸いにも頭の回転が良い方だったみたいです。

しかし、当時公立トップクラス高校に進学した僕は『良い子』ではなくなっていました。

学業成績でトップクラスにあることを良い子と定義していた僕は、高校では成績としては中の下~下の中あたりに位置づけ、トップクラスにはおよそ手が届かないと考えてしまいました。

その時が人生で初めての大きな挫折であり、喪失感を抱いて生活していたことを憶えています。自分の価値って一体なんだろうと思い悩んだこともありました。

幸いにも僕の場合はラグビーを始め、新しいアイデンティティーを獲得して充実した高校生活をおくることができました。

 

僕は良い子であることが悪いと言いたいわけではありません。実際、中学までの自分は良い子と言われていたからこそ学業を頑張り、自分に自信を持つことができました。

大切なことは良い子であるだけじゃなく、良い子と言われること以外に自己を確立するものを自分で認識し育てて行くことです。他人の評価ももちろん大切ですが、自分で評価できる自分の何かをもつことが大事なのだと思います。

 

別に良い子と言われていたから良い子である必要なんてどこにもありません。人間、多少悪い部分がある方が長生きするなんて言われていますしね。まあその悪い部分で他人を傷つけることがあろうものでは言語道断ですが…

逆に言えば故意に他人を傷つけるものでなければ、人間どう生きたって自由だし、他人の評価なんて必要と思わなければ話半分に聞くか雑音と思いシャットアウトしてしまってもいいでしょう。

 

『良い子』のままだけであり続けている人がいたら、思い切って『良い子』なんてやめちゃいましょう。

 

なんてまだまだ人生前半戦の若輩者がたらたらと説教垂れてみました。